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2007年 12月 26日
意図せぬトラックバックが止まらない。恐らく別サイトのエログロホラー小説サイトの系譜だろうとは思うけど、いっそのこと居直って、情事サーチロボット向けにやってみる。
普通郵便で年賀状をだすというミスをかましたインド系京都人の姉さんとようやく対面。東南アジア産かと思えば、ベトナムに移住したインド人祖父の、その息子の娘ということで、要するにインド人じゃねーんすかと口に出してしまったのだが、かんらかんらと笑ってくれてそうですねと、照れくさそうに答える実によくできた姉さん。 姉さんとはいうもの、四月一日生まれの暫定3月31日生まれで、本当は同級生になるのだが、欝のせいか、器量のせいか、その物腰の落ち着きは人妻に交際を申し込むクソガキくらいの格差を否応にも感じてしまう。屈折した人生は変わらないはずなのに。 過去にも屈折した経歴の人と何度か会う機会があった。やはりその人の精神は幼く、傲慢で独りよがりな傾向にあった。しかし、その負の定石をやっと覆してくれたのかしら。弱くても強く生きれているもの。そして改めて大人なんだなと、思えた。 と、最初はお膝元に抱えられる存在になるのかと思っていたが、徐々にエセ京都人の血が騒いだのか、あちらからこちらの低い人間性まで腰を屈めておりてきた。緊張のためか視線は常にあちこちに飛び、焦点が合わない。いやこれは情緒不安定な人特有の視線の配りに近い。人と目を合わせられないトラウマを抱えてきた人間の隠しきれない悪癖。雰囲気作りに明るく振舞おうとするそのおぼつかない社交性。生まれて来なけりゃよかった(特に月テンテンとかいう小説の月天というキャラ)張りの意味不明な関西弁もではじめる。段差にかかって豪快に転んだり、自販機で買ったコールドの紅茶を苦しそうに飲んだり、自動改札に昔使っていた定期券を入れようとする天然ぶりさもみていくうちに、こっちと大してかわんねーんすなと思い思い、こっちも下手にいないで、傲慢で独りよがりな本性を発揮することに何の疑いも躊躇もなくなった次第である。 本性がでると、途端に敬語が少なくなり、命令口調になっていく。早く来いよと声を荒げ、肩が痛いから鞄持ってくださいなと頼むなど、もろもろ、終わった人間のそれになっていく。だがベトコンは怯まない。声は小さくなるものの、そうですね、いいですよ、わかりましたと従順に従ってくれる。さすが大人というべきか。 もはや癖なのだが、女子供とか一切関係なく、加減された愛の鞭が自然と相手に伸びてしまうこともある。だからいじめられやすいのだがそれはそれとして、彼女が海遊館という水族館のパンフレットを気に入って、ウミユウミ行きませんかと言った瞬間、ついに背中にひざを入れる。カイユウカンっすよと若干いらつきながら。 そして一瞬の間が開いてしまう。やっておきながら、ああ終わったな、まだ昼前だし立ち食いそばでも食べて帰ろと思ったが、それでもゲリラは動じない。むしろ嬉しそうに、ほんと、ごめん間違ったと応対する。このやりとりから、私の中で彼女の本質が見えてくる。 自分を鑑みればすぐわかりそうなものだったが、どうやら犠牲心というものが二人に共通してあるらしい。特に大人の人間性を形作っていた彼女の犠牲心は濃密で屈折したところにあり、世間的にはマゾフィストと呼ばれてもしかたない性質を持っている。それに感づいてしまった。 人手が多い。そういうシーズンのまさにその日だから、当たり前。 しかし空気は全く読まない。わざわざ人ごみの中で言う。基本的に人嫌いなんっすよ、だからこういった人手の多いところとか、例えばクリスマス?なんて下らない行事で盛り上がるのって馬鹿馬鹿しいっすね。金ないわしんどいわで家にいなきゃいけない人なんすよほんとは。何でこういう日に外出してるのか自分でもわかんねえっすよ。本音が次から次へとでて来る。 その淀んだ空気を吸っても平然と生きていけるどM。私だって、苦手ですよ。でもよかったじゃないですか。こういう日に初めていい思い出ができたんでしょ。いい笑顔をして皮肉を返すどS。 先ほどから敬称が酷いが、貶してはいない。良い意味で述べている。実際に混血の特徴である褐色の肌について触れ、実際にブラックさん入場料おごってくださいと言ったが、そこに嫌味なんて全くない。それをわかっているからどMも貸しですよと言いながら身銭を切る。相手も私の特徴を掴んでくる。 あのでかい水槽のあのでかい魚がジンベエザメっていう名前で、サメの一種なんだけど、その割には大人しくて優しくて、腹にコバンザメがへばりついているんだけど全く気にしてないっすよね。そこにあるものとして受け入れてますよね。いいっすよね、ああいう雰囲気は好きなんすよね。ジンベエザメとコバンザメの関係性とかね。遠まわしな申し入れに気づく勘の素晴らしいカレーウーマン。 しばらく間があき、褐色の美人で、しかも聡明でありよくできたお通じの来ない娘さんは答える。主従関係がってことですか。ああいう心理っていうか、寄生っていうんかな、悪くないと思いますよ。その、はい、悪くないです。私は、好きな方かな。必要としてくれるだけで嬉しいかなって。 それは妥協か、と思いながらも、割とすんなり事なきを得たので一定の安堵ととてつもない徒労感を覚える。体力がいることはやはり疲れる。今度会うときはお金返してくださいねと口実ができても、金ないわ体力ないわ甲斐性ないわで参る。でもプレゼントやら、その、くれたものは貰ってしまったのでやんわりとそれとなく接するよう心がける。そこにいるのはどMじゃない。人間なんだひとなんだ駄目なんだ、生きているんだ。明日か明後日か来年か2万年後までは。 #
by rikkuayame
| 2007-12-26 13:10
2007年 12月 24日
クリスマス以前に出会ったとある不動産屋の娘さんは世話焼き。
物件のファイルの棚から、背表紙に『彼氏いない』と書かれたピンク色のカバーが付いたファイルを抜き出し、この中から好きなの選んでいいよと言う。 何すかこれ。彼氏探してる子のあれこれ。気に入った子がいれば紹介しまっせ。要は無料の出会い斡旋。 ファイルには、女性のスナップ写真が縦に並んで紹介文も書いている。履歴書みたいに学歴とか、性格とか、特技やら、特徴やら、欠点など、粗探しをしてるかのごとく詳細に載ってある。 なぜ空いてるのか聞きたいくらい容姿も悪くない方ばかり。全体から探すのは大変。駄目な人間でも優しくできる人いませんか。 もちろんいます。揉み手をしながら後ろのページのお勧めを紹介してくれる。 案の定というか、予想してたのだが、純粋な日本人じゃない。東南アジアの方との混血。面黒だが鋭い目つきがとても好み。性格も素直で特に問題はないらしい。ただ子供を産めないと書いてある。 宗教上ですか。突飛な切り出し方をする。ちゃうわ。摘出したからあれがない。ここではあれだが、あれとはそれであって、正式な名称でさらりと言い除ける。 あれのガンになった。でも今は治ってるから大丈夫。子供は作れないけど、この子は尽くしてくれると思う。 紹介文の仔細を読む。幼少の混血差別によるいじめ、卑屈と自虐に走っていく遍歴、貰い手のない寂しい独り身の年上、確かに悪くない。気が合うならとりあえずこの子で色々遊んでみたい気分になる。 いっとくけど、やりたいだけならやめてや。同意の上でのプレイやったら許すけど、あんたいい加減やからな。 当たってはいるが、なぜ女というやつはこうも傲慢なのか。理解できない。絶対に大切にしますという主旨をメモ用紙に一筆書いて、紹介して頂く形になる。なぜか控えをコピーされる。 それで、いつ会えそうですか。今欝病で療養中やから、直接彼女の家に行って。住所はどこですか。左京区の。左京区て、京都じゃないですか。電車乗っていけばそんなかからん。それはそうですけど、遠いじゃないっすか。僕お金ないし、持病あるんすよ。体力も持たないっすよ。文句多いなあんた、欝持ちの女の子独りでこっち来いいうのも可哀想やろ。んなこと知ったこっちゃねえっすよ。いいからこっちに出向かせてくださいよ。必死になんなや。電話番号は教えるから、しばらくそれで我慢せえ。でもな、この子のパパ厳しくて彼女携帯持ってないから、家電の方な。なんでやねん、家電やったら気まずいやろうが。どうにかして、クリスマス前ぐらいまでには会えるようにせえよボケ。これがさらに20分ほど。 結果は条項。堪能な日本語で書かれた年賀状が今、届いたので、新年開けましておめでとうございます。おせちは嫌いです。 #
by rikkuayame
| 2007-12-24 14:58
2007年 12月 21日
街ではクリスマスだのサンタクロースだのと、華やかな話題が飛び交っている中、私は病院を三軒はしごして今回もまた、新しい話を紹介する。
上記のタイトル通り、私が人並み以上に優れた経歴というものを探ると、何もないという結論になってしまう。しかし汚点を前向きな経歴と考えれば、そういえばいじめられっこのキャリアだけは無駄に長いなと思い至った。 その晩年いじめられっこが、私をいじめた諸悪の根源である人に結婚したので家に遊びに来ないかと言われた。主に茶を飲みながら昔のいじめについて会談してきたのだが、いじめられっことしては実に貴重な体験だと思う。普通にいじめられてきた人であれば、いじめっこと出会うことすら不幸だと思うだろう。もちろん私もそれはそうなのだが、この人に関しては私自身、彼のいじめを肯定してきた節がある。 私を呼び出したのは格闘家も真っ青な大柄で筋肉質な男だ。小学一年生の頃からの知り合いで、男に対して好色な視線を這わせるゲイであるが、両刀でもある彼は同じ私のいじめっこだった奥さんと結婚して、今も幸せな生活を送っているらしい。大体のいじめっこは彼に命令された下っ端であり、彼こそが私のいじめの発端なのだが、彼は彼なりの筋を通していたそうだ。この会談においても、「なぜ俺が、和哩(私)をいじめたのか」を、丁寧に話してくれた。常識でいえば単なる言い訳に過ぎない話ばかりなのだろうが、彼の言葉には説得力がある。都合の悪い事実を封殺して自分の利に換えてしまう、彼の天性の資質といってもいい。 それは彼女の奥さんも同様だ。彼女は男からも一目置かれていた元スケ番なのだが、彼女も彼女なりの筋を通して生きていることを主張していた。拙い言葉の羅列ではあるが、私もついついその主張に惹き込まれてしまった。 二人に共通して感じたのは、人の上に立つものとしての支配力と、自分の悪を相手に納得させてしまうだけの器量だ。人付き合いの少ない人生ではあるが、この二人ほど、有無を言わさないだけの雰囲気を持った人間は見たことがない。神の存在に否定的な私ではあるが、この二人を見ていると、運命という言葉は満更嘘でもないなという気分にさせられてしまう。選ばれたものと、選ばれなかった人間の違いを身をもって教えてくれる。 かといって、彼らは社会的な強者ではない。勉学も下手すれば賢い小学生以下かもしれない。善悪も常識もわかっているけど従わないし、昔と変わらぬ横柄な態度と強靭な意志を今も貫き通しているだけだ。だがそれでも人の心を見抜く洞察力や物怖じしない強靭な精神力、何よりその天性の支配力を持ち合わせている彼らには、不幸の陰が全く見えない。本当に充実した生活を送っていることが表情から見てとれるし、どんな相手にも屈しないその一貫した姿勢には敬服すらする。私のような人間なら、彼らにいじめられても仕方ないなという気持ちは、当時から持っていたし、その会談を通じて改めて実感してしまった。人としての格が、彼らは桁外れだ。 そう感じてしまうからこそ私は晩年いじめられっこなのだが、彼らは私に対してかなり感謝しているらしい。非常識ではあるが、中学校の卒業式の日、和哩(私)をいじめてきたから楽しい学校生活になったと、屈託のない笑顔で言われたのだ。いじめた対象に感謝する人間がどれほどいるのか図りかねるが、やはりこの二人は異質であって、一般的ないじめっことは違うと感じてしまう。自分が如何に楽しめるかを常に考えていて、それが例え相手を傷付けることになったとしても、後悔はしないし甘んじてその罪を正面から受け止めるという、一貫した豪快な生き方がいじめられっこを納得させてしまうのだろう。確かにここまで開き直っていじめられると尊敬すらしてしまう。気分的なものに過ぎないけど、高校時代の陰湿ないじめより、よっぽど楽だったなと感じる。 二人は、自分の筋を通してきたことだからこれまで謝罪はしなかったが、その会談の折には照れくさそうにそれぞれ謝っていた。その理由を聞くと、これから彼らが楽しく生きるのには、昔と違ってなるべく私と対等な関係でいた方が面白そうだからというものだった。何を虫の良い話をと前置きはしたが、私はその要求をまたしても受け入れてしまった。 会談の最後に、もし私が死んだらどうすると聞いてみた。彼の方はきょとんとして答えに窮していたが、彼女は「もし君が死んだら、泣いてあげるよ」と言ってくれた。その答えを聞いたとき、妙に悲しくなった。彼らとは、対等でいれなくても満足できていたからだろうか。 それはいじめられっことしての役割を担った私との決別だったからかもしれない。私は彼らにいじめられる対象でなくなったということは、私のキャリアもこれで終わり。遠い存在として見てきた彼らが近くの存在になる。妙に現実感がない。いつまでも変わらないのだと思っていた私の運命に、狂いが生じて。 「死ぬ前に電話してよ。お前(私)が死ぬとこ見てやるから」 答えに窮していた彼がそういってくれたとき、私の不安はすぐに解けた。良かった、これで私の運命は変わらない。いじめられっことしてのキャリアは続いてくれる。でも、泣いてくれる人ができてうれしかった。 #
by rikkuayame
| 2007-12-21 15:01
2007年 12月 13日
現在、限りなく自殺したい願望を抱えているが、まずは明るい話を紹介する。
私の家族構成には、長男がいる。その長男は私ではないけど、私と血は繋がっているらしく、3年ほど前までのおよそ20年間、何の疑いもなく同じ屋根の下で暮らしてきた。 気性の激しい次男とは違い、末っ子の私に合わせて付き合える、良くも悪くも子供っぽい人でした。嫌なことは絶対しないし、空気を読んで引き受けようともしない。世間知らずのアマちゃんでそのくせ妙に堅物な性格は私によく似ていました。 彼との交流は主にテレビゲームでした。彼は自分の家に友達を招いたことがありませんでした。友達がいないわけじゃない。でも呼ぼうとはしない。話の上で存在する友達の名前を聞きながら、私は無言でテレビゲームの対戦相手になってあげました。一言も喋らずに。 長いときには半日、徹夜でゲームに付き合わされたこともあります。それを嫌がらずに引き受けたのは、私には遊び相手がいないから。血の繋がりという、よくわからないものの関係上で、友達のように接してくれることに感謝していたからです。それは私を虐待に近いことをしてきた次男にも、両親にもあって、犠牲心のような感情で協力を惜しまなければならない運命を自然と受け入れていました。 でもどこか不思議な感じが、ずっと消えなかった。同じ空間で家族と呼ばれる人と一緒にいることが、私には今でも不思議で、とても変わった出来事だと思う。その理由が解けないせいで、長男が結婚して家を離れた時も、少しも寂しさを感じなかった。家にいた年上の男性が離れた。その程度の認識。何の感慨も起こらない。せっかくの遊び相手がいなくなったのに。 今年に入ってから兄が離婚して、また別の女性と結婚した話を聞いた。それで?だから?という無関心な心境で話を聞いていたけど、彼が再婚したのが中国人の方で、どうも外国人に偏見があるらしい父親が家への出入りを禁止したことに少し興味を惹かれた。いつか昔の昼のドラマで、こんな話があったな、私の狭い身辺ですらこういうことが起きるのだなと。 かといって、私に有益な話ではないから、ちょっとした身内の変わった事情程度の認識だった。兄が再婚したことすらすぐに忘れてしまっていた。 そんな折、兄が久し振りに家を訪ねた。相変わらず何の感慨も沸かなかったが、兄は奥さんの中国人を連れてきていた。大きな木の板に乗った水餃子と共に。 初めて新しい奥さんを見た私は、そのお世辞にも美人とはいえない容姿の奥さんに無言で頭を下げた。それでもその奥さんは人懐っこそうに笑ってくれた。そして「餃子作ったんで、よければ食べてくださいね」と、外国人なまりの独特な日本語で話してくれた。 まだ茹でていないその大量の餃子を、私が食すことになったのはそれから数日後。母親が茹でた水餃子が食卓に並んだとき、あの奥さんが作ったものだとわかった。 これが本場の餃子か知らないけど、味はほめられたものではなかった。いつかの対面式で食べた餃子の味を思い出した。酷く皮がぱさぱさして食感がなく、どんな餡をつめたのか味が全くないのでわからない。ただひたすら皮のぱさぱさした食感が口の中で広がって、妙に気持ち悪くなる。吐き出してやりたいぐらいだった。 しかし私の犠牲心は働いていた。その餃子を食べ終えなければならない使命感が、餃子の不味さに打ち勝った。 はっきりいって、まずいよ。餃子だけじゃない。あの奥さんの顔もまずい。喋り方も癖があってどちらかというと嫌いな部類だ。人として好きにはなれないのだ。だがあの人は私の兄の奥さんであって、何も喋らない、何の感謝の言葉も口にしない私が、そこから逃げるのは失礼だと感じた。せめて餃子ぐらいは食べてあげないと。それぐらいは私でもできるのだから。 犠牲心の代償は、胃のむかつきと一度の嘔吐だけで済んだ。食べ終えたものを戻したんだから失礼ではないはずだ。私はそう信じることにしているのだ。 今でも、餃子を見るとあの奥さんの水餃子が脳裏を過ぎる。餃子に対してちょっとした抵抗も覚えている。でもそれは甘んじて受け入れねばならない。家族の繋がりが希薄な私にはむしろ丁度いい。餃子の恐怖ぐらいで兄を思い出せるなら安いものであろう。 彼のことを、私はお兄ちゃんと呼んでいる。お兄ちゃんとの思い出はどんどん色褪せている。でもお兄ちゃんの奥さんの、中国人の水餃子がある限り、お兄ちゃんのことは決して忘れないので、安心してくれて、いいよ。 少しは心境も変わるかと思えば、相変わらず私は鬱蒼としている。所詮、兄は餃子を超えられない程度の存在だということなのだろうか。兄には是非私の陰口を叩いて欲しい。そうしてくれることが、お互いのためであって、そうすることで、少しは家族らしい認識を持てる気がするから。 #
by rikkuayame
| 2007-12-13 16:12
2007年 12月 13日
視覚に入るPCの本体や周辺機器を気にして、配線をPC机の柱の裏に隠したり、マウスのLEDを塞ごうとビニールテープを買ったりしたが、そんな日々を過ごす内にかなり無駄なことをしてきたなと、実感する。
そもそも、PCの置き場が普通のデスクであれば改善される問題が多すぎる。現状のインテリアを維持してあれこれ創意工夫するのが馬鹿らしく感じる。さらには安価のノートパソコンを買えば全て解決する問題じゃないのかとも思えてきた。 しかしそれは究極の解決法であって、今の私が絶対に手を出せないと思い込んできたのものだ。なぜなら私は与えられた環境と境遇の中で切磋することしかできない弱者であるからだ。仮に私が勝者であれば、こんな問題は現金と精神力で解決できるからだ。 とはいえ、今の私が勝者を目指すには余りにも途方もない距離を埋めなくてはならない。埋め終わらないとその道に入ることすらできない。 マイナスな思考に陥ると、やがて思考も鈍化する。今もっとも手っ取り早くできることは、自分に麻酔を打つことなのだろうが、それもまた恐怖との葛藤でできそうにない。 こういう時に限って、何か書きたくなる。逃避したい願望を原動力にする創作屋もそうはいないであろうが、今のうちに残せるものは残せるうちにしとかなければ、もはや売り物すら放棄することになる。 そういうことなので、暇と退屈と情緒不安な精神をもてあそばしている人向けの話をいくつか紹介していこうと思う。 #
by rikkuayame
| 2007-12-13 15:05
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